ミサイルタワー


発売時期 発売時価格
1961/11 ¥180



えっ!こんなキット本当にタミヤで作ってたの?スケールは?

という気持ちよくわかります何々シリーズでもありません。これは「田宮模型の仕事」にも書かれていた発泡スチロールキットなんです。タミヤは創業以来、木製模型の専業メーカーとして努力を重ね、ついに頂点を極めようとした時(木製戦艦の素晴らしさ)、アメリカからプラスチックモデルが入ってきて、その企業としての根幹から存在意義さえ問われるという危機を迎えます。「じゃあプラスチックモデルに方向転換すればいいじゃん」という訳にはもちろん簡単にいかず、新しい素材プラスチックとの戦いが始まるのです。

詳しくは「田宮模型の仕事」に書いてあるので多くを語りませんが、清水の舞台から飛び降りるつもりで1960年に発売したタミヤのプラスチックモデル第1号「戦艦大和」は、ライバル日本模型(ニチモ)に敗れ、返品の嵐となり創業以来最大の赤字を抱えます。木製模型は全く売れない、プラスチックモデルならなんでも売れるが金型を作るのに莫大な投資が必要で、なおかつ失敗は絶対許されないという状況で、「つなぎ」として苦肉の策で作られたのがこの発泡スチロールキットなのです...

申し訳ないのですが「さっぱり売れなかった」と社長本人がおっしゃっている事は良く分かります。上田毅八郎画伯による箱絵は満点ですが、いかんせん中身が苦しい出来です。豪華にミサイルが4基も入ってプロポーションも十分合格と思われますが、素材の発泡スチロールがいけません、ありがたみがないのです。さらに発泡スチロールの台にTKK15モーターを「接着剤でつける」という指示があまりにも無理があり、おそらく針金の先についたミサイルをモーターで旋回させられた子供は皆無だったのではないでしょうか。

ちなみにミサイル4基の名称については、この分野の専門でもあるねこにいプロダクツの高見助教授(いつから?)の発表を今回初めて添付しておきます

もちろん当研究室は35年以上たったこのキットを揶揄するつもりなど毛頭無く、今では押しも押されぬ世界のトップメーカーになったタミヤが苦しかった時期を無言で語る貴重な証として大切に保存するものであります。

(1998/09/14)

などと2年以上前に書いていたわけですが(昔の自分の文章を見るのは誰でも恥ずかしい物ですね)、その後新たな事実が分かったり、驚異的な技術と精神力でキットを組み上げた方が現れたりしましたので、増補改正いたします。

このキットはタミヤがプラスチックモデルへの移行期で苦しい時代の産物です。ほぼ半年前に発表になった「サンダーボルト」はモノグラム社の製品を参考にしたことは先に述べましたが、このミサイルタワーにも参考となるキットがあったのです。それは同じくモノグラム社の「missile mobile」です(あうとばぁんさん、情報ありがとうございます)。このキットは6機(基?)のミサイルを昔懐かしの“モビール”としてバランス良く糸で吊すというものですが、そのプロポーションの良さは特筆モノでまさにモノグラムスタンダードです。そしてこれが1959(S34)年のキットと聞けば当時の日本の模型関係者の気持ちを慮る事が出来るでしょう。

6機のミサイルうち、どうやら3機がお手本になり、さらにX−15を加えて4機とします。さらにメインとなる管制塔と合わせてタミヤの「ミサイルタワー」は構成されています。「サンダーボルト」の時同様、タミヤはオリジナルを単にコピーするのではなく、独自の“モーターにより回転するオブジェ”を作り上げるのです。それは図らずも金型水準でアメリカに大きく水をあけられた(というより、あいていた)日本の方向性を示すものでした。さらにタミヤにとってはプラスチックモデルを設計したくても出来ず、やむなく発泡スチロールを使うしかなかったという現実も加わります。実はこの発泡スチロールさえも自家製で、古い洗濯機を改造利用して素材を攪拌しながらいかに発泡させるか苦心したそうです。まさに世界のタミヤにとって現在から見ると隔世の感がある尊い時代です。

「田宮模型全仕事」の編集もいよいよ大詰めの第3巻に入ると、どうしても取り上げなくてはならないのがこの「発泡スチロール」キットです。俊作社長は「いい思い出がないから出来れば避けて通りたいなあ」とおっしゃいましたが、これだけは譲れません。“全仕事”ですから抜けは許されないのです。全国のマニアの方々のネットワークを駆使した結果、これまで全く表に出てこなかった「雪国の家」というキットまで取り上げることが出来ました(これは目出度く静岡の歴史館に寄贈されました)。

完成品にもこだわったのが「田宮模型全仕事」です。「ハイスピード」と「ブルーバード2世」はなんとかなりましたが、流石に他は難航し「ボックスアートをすべてカラーで載せることだけでも過去には全くなかったことなので、これで許してもらうしかないのでは」といった考えで落ち着こうとしたときに助手の携帯電話が鳴りました。声の主は他ならぬあうとばぁんさんです「ミサイルタワーの未組み立てキットを入手しました。かなり欠損してますがこれで良かったら提供しますよ」

今改めて日付を見てみるとこの電話があったのは8月17日。締め切りは8月25日に設定されていましたからキットの郵送などを考えても完成させるのは殆ど無理です。しかしこの難事業にすべてを捨てて敢然と立ち上がった人物が現れました。そう、ねこにいプロダクツの高見さんです。2年半前にはこのコーナーの解説までお願いしていた氏は快諾し、ほとんど「素材」といって良い状態だったキットをエポキシパテや船舶模型用の手すり等も使い完成なさったのです!多忙な時期で会社に泊まりもしょっちゅうで、帰宅できても軽く24時をまわり、朝は普通に出社する状態だったことは存じてますので平均睡眠時間はどうなっていたのでしょう?

補強材を入れながら管制塔も組み上げ、モーターでのオブジェ回転ギミックも完全再現されました(この点、作りもしないで「おそらく針金の先についたミサイルをモーターで旋回させられた子供は皆無だったのでは」などと以前書いてしまったことを猛省しております)。驚異的な技術の裏付けもあり意外に丈夫で動作も確実です。深夜に完成品を持って当研究室を訪ねてこられた高見さんとウインウインいいながら廻るミサイルをしばし見とれてしまいました(この時、隣にはゴールデン大和が作りかけでした)。この完成品は無事撮影を終えた後、静岡タミヤ歴史館に寄贈されました。私がいうことではありませんが、この場を借りて改めてあうとばぁんさん、高見さんに感謝致します。

箱の中身全景。手前の竹ひごはミサイルの先端や管制塔のアンテナになる。
(この写真は当研究室所有物で、高見さんが組んだ物とはキット状態が違います)

「手すりは船舶模型用を使いましょう」と書いてある。

お手本になったモノグラム「missile mobile」 中身は1959年を考えても驚異的なディテール!
タミヤのミサイルタワーパーツと並べてみる。 モバークミサイルの比較。
スナークミサイル(マスキングも大変)。 モバークは片翼エポキシパテの塊だそうです。
レギュラスU型ミサイル! ベルX−15!!

神々しいまでの完成品。もちろん完動品です。