レオパルド


発売時期 発売時価格
1969/05 ¥850



当研究室としては、やや新し目(どこが)のキットの登場、西ドイツ陸軍(この響きも10年ぶり)レオパルド中戦車です。キットとしては1969年4月にシングルが、そして1ヶ月遅れでこのリモコンが発売されました。発売から30年以上経つのに古さを感じさせないのは、このキットがまだミリタリーミニチュアシリーズNo.64として現在も販売されているからです。ちなみにMM入りしたのは年間でMMキットが28種類も発売された1975年です。28というと1ヶ月に2キット以上の新製品という今では考えられないようなハイペースですが、このレオパルドの様に既にモーターライズで発売されていた物のディスプレイ版といったキットが28の内、M41、タイガーT、キングタイガー、ハンティングタイガー、レオパルド、パンサー,KV−T、ロンメルと8つもあります。実はモーターライズからディスプレイになったキットというのは1975年のこの8キットがすべてでして、それ以降となると17年後の1992年、湾岸戦争に合わせて発売されたNo.161のM42ダスター(限定発売)などイレギュラーな物しかありません。

時代を戻しましょう。このキットが発売された1969年当時としては、ほぼ完璧なキットで、金属製のエンジングリルメッシュ、ポリ製のワイヤーロープ、ポリキャタピラの裏面も彫刻など斬新な手法が複数とられていました。あえて欠点を探すなら、ややオーバーぎみな車体の梨地仕上げと、戦車兵の縮尺がややおかしく1/40くらいに見えてしまう事ぐらいでしょうか。何を隠そう、このキットこそが当研究室助手のファーストタミヤタンクだったのです。確か母が何処かへ旅行に行くことになり、「おみやげは何がいい?」と聞かれ「タミヤの戦車!」と叫んでしまったわけです。当時は1/100ミニジェットシリーズにはまっており、タミヤの名前は痛烈に頭に刻み込まれながらも、まだタミヤの戦車を作った事がなかったのです。箱を開ける前からなんだか大人に一歩近づいた気になったのを今でも鮮明に覚えております。砲塔のハッチの可動が妙にカッコ良く、完全にイカレてしまいました。しっかり車体はオリーブドラブの単色筆塗りで、エンジン部だけレベルカラーの銀で塗ってから走らせました。この数年後に助手の仲間内でリモコン戦車が大ブームとなります。助手が買ってもらった レオパルドはシングル版でしたので、他のキングタイガー、パンサー、T34、センチュリオンなどが主力部隊でした。しかし友人の持ってきた2台のリモコンレオパルドに大苦戦したのです。車体が低く、砲身を下げて進んでくるレオパルドに簡単に下に潜られひっくり返されるのです。このトラウマがおよそ30年の時空を越えて爆発してしまいました。

今回の「研究」はちょっと毛色が違います。先に行われた「動く戦車オフ会」の為にこのレオパルドを30年ぶりに作りました。所謂「出戻りモデラー」という言葉が使われるようになって久しいのですが、その典型としての完成作品です。本来HPには上手な人が完成写真を載せる物ですが、この30年ぶりの製作という思いにこんな物を載せてしまうことをお許し下さい。あらかじめお断りしておきますが、技術的に参考になる物は何もありません。

基本は完全素組です。しかしリモコン戦車バトルを考え、細かいOVM等やバックミラー、サーチライト等は最初から付けません。砲塔につく手すりはバトルダメージを考えて0.8mmの真鍮に替えました。本来手すりを真鍮に替えるのはよりシャープに見せることが主眼のはずですが強度を最優先しての太い0.8mmです。塗装を何にするかに悩みましたが何気なくパラパラ見ていたタミヤニュースのバックナンバー(Vol.272/1992 X’mas ed)にノルウエー陸軍3色冬季迷彩図があったので「カッコいい!」とあっさりと決めました。以前から気になっていた表面の梨地仕上げもすべてサンドペーパーで削って落としました。簡単に「落とす」と書きましたが、目の粗いのが400番しか無く、これだけで丸一晩かかり、貴重な時間を使ってしまいました。この時点でアーマーモデリングの土居編集長に相談したら「えっ、ノルウエー陸軍って、あの3色迷彩ですか?あれってボカシじゃない3色迷彩ですからマスキングにとんでもなく時間がかかりますよ。」と言われました。残された時間はわずか3日、当然ここで萎えるはずなのですが、何故か「やってみよう」とドツボの道 にはまっていったのでした。下地のホワイトサーフェイサーを吹いた時によっぽど「このまま国連軍にしよう」とも思ったのですが、執行委員?として突っ切りました。

マスキングは先の水モノオフ会の時のジェットパンサーでやってますから、何とかなると思ったのですが想像以上ですね。しかしはっきり判ったのはタミヤのマスキングテープが非常に使いやすいという事です。曲面にも馴染むし、加工も容易で一緒に使用した他社の物より格段に使い勝手が上でした(その分、値段もしますが)。3色迷彩の内、緑は今話題のロシアングリーンを基調に各色混合で、黒も青み等を加えてあります。マスキングテープを剥がすのは小学生の娘が手伝ってくれました。最後に汚し塗装として艶消しの薄いブラックベースとブラウンベースを2度にわたってスプレーしてあります。テールランプを見たら、いかにも「電球を入れて下さい」というような形だったので、時間もないのに埋め込みました。

バトル対策その1:砲身にステンレス鋼棒を埋め込み強度UP
バトル対策その2:ポリキャタピラにリキッドラバーを塗り、摩擦力UP
バトル対策その3:車体内部に「釣り具の上州屋」で買った鉛のおもりを入れ車重UP
バトル対策その4:電池はニッケル・水素単3電池に単2スペーサーをかませ1500mAと電力UP

オフ会の戦車バトルの結果は...一回戦負け...トホホ

皆さんがあんなに気合いが入っているとは思いもしませんでした。砲身に金属棒を入れている人が複数いました!車体におもりを入れている人が多数(!)いました!!だって、持った時にみんな妙に重いんだもん。ニッケル・水素スペーサー戦法と全く同じ事をしている人もいました!単1電池2本のリモコンボックスを使いながら中はアルカリ単3を4本!、中には直前まで電池を懐に隠し暖めるなどというミニ四駆戦法の人まで...おまけに砲塔を強力ギアボックスで回転させ倒れても起きあがる人や、メインモーターにマブチRE280を強引に埋め込んだ人も...相手が弱ったと見るとBB弾発射まで出る始末。リベンジ...来年のオフ会が楽しみです。

今月号のアーマーモデリングを見ますと、斉藤仁孝氏の61式戦車の3色迷彩作品が載っています。国分寺の模型ショップ「ガンク」に現物が展示してあり、それも見てきましたが、同じ3色迷彩でも天と地ほど差がありました。氏は色の境目はすべて筆で塗り、囲まれた部分だけをエアブラシで塗装するという技法です。色の境目もあえて変化を付けてあり、ボカシ気味にしたいところは境目の筆塗りを細くすると、その分エアブラシのはみ出しが多くなりボケます。はっきりさせたいところは筆塗りで太く塗ると、それより先はエアブラシの霧が届かずボケません。それはまさに高石師範がおっしゃる1/35の世界の塗装でした。私のは色の境目がマスキングテープの境そのまんまですから1/1の世界の塗装を1/35の模型にした訳ですね。考え方によっては反論もあるかもしれませんが、まがりなりにも作ってみると他の方の作品を見る目が変わるという事を今回、身をもって体験しました。

ところでこのリモコンレオパルドが発売されたのが1969年5月ですから初版は大箱押しボタン式リモコンとなります。わずか半年後にリニューアルM41リモコンブルドックが新型レバー式リモコンボックスで発売になるのですが、これと合わせて他のキットもすべてレバー式リモコンボックスに改められます。つまり「押しボタン式リモコンボックスレオパルド」はわずか1年足らずで発売が終了になったという幻(またか)のキットという事を最後に紹介して、なんとなく研究室らしく終わってみます。


1色目の上に最初のマスキング。手前はタミヤニュース。 2色目(緑ベース)塗装終了。
2回目のマスキング。ここまで出来れば終わったも同然。 黄色がタミヤ製マスキングテープ。使いやすい!
3色目(黒ベース)塗装終了。 全てのマスキングを剥がしたピカピカ状態。
ヘッドライトも真鍮線を中に入れ強化してある。 エンジンメッシュもマスキングOK。テールランプはまだノーマル。
強化する為、砲身に2.0mmステンレス鋼棒 汚し塗装も終了で完成。
鮮やかに光るテールライト。ちょっと明るすぎ。 初版は押しボタン式リモコンボックス。これは今回作ってません。