「田宮模型教材社企画設計室」再現ジオラマ



実は、これまで公には発表しておりませんでしたが、今回の「I LOVE TAMIYA」展の出品物の一つの目玉に「田宮模型教材社企画設計室」のジオラマ再現というものがありました。「田宮模型の仕事」に出てきた、“初のプラモデル「大和」の営業的失敗の後、製材所の2階にリンゴ箱を置いて小さな設計室を作り・・・”というものです。

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1960年、タミヤ初のプラモデル「大和」が営業的大失敗に終わった田宮模型教材社は、"時代に遅れている"とわかっていても再び木製模型を開発し続けるしかありませんでした。入社間もない田宮俊作(現社長)はリンゴ箱に合板を置いて製図台とし、製材所の2階に小さな小さな企画室を作りました。「木製戦車T34」、「発泡スチロールミサイルタワー」、「ベビーレーサー」・・・そして苦しい中からついに大ヒット作「パンサータンク」が生まれたのです。

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昨年来のタミヤサイドとの何度かの打ち合わせの中で「田宮模型教材社の社屋をジオラマで再現したら面白いんじゃないの?」という専務の提案で湧き上がった企画です。「素晴らしい!」と即決となりましたが、さてどなたに依頼するか?・・・助手の頭の中には当初からこの方しかありませんでした。そう、他ならぬ金子さんです。金子さん自身も「面白そうですね」と賛同して下さいました。ところが「建物を壊すときに何枚も写真を撮ったんだよ。確か残っているはずだから・・・」ということだったのに、どうしたわけかなかなか見つからず(かなり探し回っていただいたようです)、結局、たった1枚のモノクロ写真と俊作社長の記憶のみが資料ということになりました(つまり、イメージ再現ジオラマですね)。

昨年(2001年)秋のプラモデルラジコンショーで金子氏が俊作社長と1回目の打ち合わせを行い、金子氏が取材に基づいてサラサラとスケッチを描きます。イメージ再現といっても金子氏の取材は微に入り細に入り、小物も続々と当時のままイラスト化されていきます。「ある程度できたら俊作社長に見ていただき、修正を加えながら進めましょう」という結論になりました。ところが、その直後に金子さん自身がプロのモデラーとして独立なさることになり、とんでもない多忙なスケジュールに入ってしまわれました。年が明けてからちらっと聞いただけでも「それでは全く無理ですよね」という殺人的スケジュールで、一度は「この話は無かった事にしましょう」とまでなりました。しかし金子さん自身が「俊作社長にあれだけ時間を割いて頂いたものをやめるわけにはいきません」とのことで、「とにかくギリギリまでやってみます」ということになりました。

スケールは1/24に決定し、小物はデフォルメを考えて1/20とやや大きめのスケールにします。傍から見ていてもとんでもないスケジュールでしたので、当研究室助手が恐る恐る「何か小物だけでも何かお手伝いしましょうか?」と聞くと、「えっ!助かります」ということになりました。私としても、あの金子さんの作品に一部とはいえ参加できるなんてこの上ない名誉なことです。

データの取り方は、以前山田卓司さんの作品で協力したときと基本的に同じです。パッケージをデジカメの最大望遠で撮るとひずみが少なく、5面からの画像をフォトショップで合成しプリントアウトして組み立てます。1/20スケールとなるとプリンタの解像度に限界があるので、一旦1/10スケールでプリントアウトし、カラーコピーで50%縮小したところシャープな印刷になりました。パンサータンクを作り上げた時がジオラマの設定時期ですので、それまで発売になった木製キットや発泡スチロールキットも置きます。また神様がいるなあと思ったのは1/20というスケールです。1/35のパンサータンクを1/20にすると、スケールは1/700。そう、スカイウェーブ社のメタルキットで1/700パンサーがあるではないですか!早速「タミヤの船ファン」さんに聞いたところ、半日で都内を探しまわって自宅に届けて下さいました。中をあけると、なぜか1/2000航空機のメタルキットまで入れてあります(^_^;)。

結局、私の分がなんとか形になったのが3月16日の明け方、そう、既に開催2日目に突入していました。金子さんも間に合わない中、他社のジオラマの締め切りとにらみあいながら作っていらっしゃいます(某、ギリギリの時期に納品なさった来月号M-catsのソードフィッシュのジオラマは感動的ですよ)。なんとか「I LOVE TAMIYA」展の折り返し時期までにという思いもむなしく、結局「中途半端に完成させても後悔だけが残るので、より完全なもの作り上げるからこそ製作途中でも展示しませんか?」ということになりました。

昨日、俊作社長にも会場で見ていただきましたが、「おお!懐かしいなあ!・・・でもこの寸法のイメージがちょっと違うなあ」というところが一部出てきたので、大改装も決定しました。残りの会期は現状のまま「製作途中段階」として渋谷パルコ会場で展示し、次の会場(ゴールデンウィーク明け、会場名発表まで数日お待ちください)までに完全なものに仕上げるということになりました。金子作品の途中段階をナマで見られるという、逆の意味の貴重さもわかっていただけないかと願っております。なお、「I LOVE TAMIYA」展の全国巡回終了後に、この作品は静岡タミヤ本社に展示される予定です。

ちなみに会期2日前に金子さんがハクション株式会社の某女史に「すいません、もしも間に合わない時は、私が会場で実演しながら作り続けますから」と電話で半ば真剣に伝えると(はっきり言って、その方がTVチャンピオンよろしくナマで製作過程が見られるので集客力も違うでしょう。我々にとっては願ったりかなったり!)、「困ります。間に合わせて下さい」と丁重に断られたそうです(^_^;)。

展示場所は、会場に入ってすぐの右側、そう、社長が取材で使ったカメラの隣です。あのスペースが妙に広いなあと思っていらっしゃった方の勘は鋭いですよ。

(2002/03/23)


床に細かく彫り込まれた木目を画像でお伝えできず残念。 社長のスケッチ、金子さんのイラスト・・・。


巨大な100円玉。じゃなかった・・・助手担当分です。
ゼロ戦の日の丸の白フチ塗り再現が楽しかったです(^_^;)


すいません・・・(金子氏)。