タミヤは1946年、田宮商事合資会社として創立以来、キットの箱の表記上は4ヶ所の住所を持ちましたが、実際には本社機能は2ヶ所にしか存在していません。この謎を解くヒントは業績好調による業務拡大と区画整理による住所表記の変更にあります。箱の横に書いてある住所表記を見ることによりそのキットの発売時期を特定する手段になります。たとえば息の長いミリタリーミニチュアシリーズNo.2ドイツ兵セットは、4ヶ所すべての住所表記バージョンが存在します。
ここではあくまでも箱に書かれた表記を時間軸に4ヶ所の住所を研究してみましょう。略地図を一緒にご覧になると、一層理解が深まると思います。(2001/08/06)
住所表記 | 地図 | 期間 | 解説 | キット |
静岡市小鹿 915 |
A | 1946/3 〜1969/4 |
創業以来、最初期ロゴ、初期ロゴ、中期ロゴまですべてこの住所。後に都市計画で敷地内に道路が走ることになり、土地は東西に2分割された。現在はスルガ銀行静岡東支店とタミヤ第二物流センターの敷地になっているが、スルガ銀行側の土地に「タミヤ発祥の地」の石碑が建てられている。 ちなみに当研究室助手は生まれて20年近く「こじか」と読むと思っていたが,正しくは「おしか」 |
MMはNo.2の ドイツ歩兵セットまで MTはNo.23の パンサー(S) ミニジェットは No.11ビゲンまで等。 |
静岡市小鹿 50−1 |
B | 1969/4 〜1974/9 |
ミリタリーミニチュアシリーズの一番熱い時。業績の好調拡大によりわずか500m程離れた近隣の広大な敷地に新工場を完成させ、本社機能も移転させる。敷地内には女子社員独身寮も併設された。新工場の完成についてはタミヤニュースVol.10(1968/07)にイラスト入りで紹介されている。 実はこの場所こそが現在の本社がある場所そのものである。 |
MMはNo.43の フォードGPAジープまで MTはNo.38の チェロキー(S) 1/6はNo.7の ハーレーまで等。 |
静岡市小鹿 628 |
C | 1974/9 〜1980/12 |
さらに新たな土地を確保したタミヤは田宮商事本社とセット工場を小鹿628番地に建設した。程なく区画整理で地名変更が起き、本社のある「小鹿50−1」が「恩田原3−7」になることが決定。「小鹿」の名前に愛着があるタミヤ経営陣は本社は一切移転しないのに表記上のタミヤの住所をセット工場がある「小鹿628」とした。 1977年には隣接する大谷川放水路に橋を架けた(田宮橋と命名)。この橋が出来る前は道が狭くて大型コンテナトラックが入らず別の場所で積み替えていたのが解消され、配送の能率が大幅にUP。川を渡った先には新タミヤサーキットもオープンさせた。 現在は「小鹿628」の住所表記も区画整理で「小鹿1−63−20」となり小鹿第一工場・第一物流センターがある。 |
MMはNo.119の アメリカ迫撃砲セットまで コンピューターシャーマン も間に合う |
静岡市恩田原 3−7 |
B | 1980/12 〜2005/03 |
本社ビルが遂に手狭になり新社屋が建てられた。旧社屋を敷地内に残したままの建築で、タミヤニュースVol.101(1980/11)に写真とともに記事が載っているが、その新旧対比が興味深い。この新社屋落成を機会に、登記上の本社住所を初めて本来の「恩田原3−7」とした。 隣接した旧社屋跡地には1989年に東館が建てられた。2階部分がスペクラムホールと命名されて各種イベントに使われ、1階&地下1階は金型工場となっている。 |
MMはNo.120の M48A3パットンから |
静岡市駿河区 恩田原3-7 |
B | 2005/04 〜現在 |
静岡市が政令指定都市に昇格したため、2005年4月1日に駿河区、清水区、葵区の3区に区切られた。本社住所自体には一切変更は無いが表記が変更。1/48MMのモトタグ単品発売のブリスターパックから確認出来ている。ちなみにこのモトタグは2005年2月に開かれた第1回モデラーズフリマのタミヤブースにて先行発売されたが、「駿河区」の住所表記に気付いた方は果たして何人いらしたか? | 1/48MMモトタグ |
現在の名称 | 住所 | 地図上の記号 |
(株)タミヤ本社 | 静岡市恩田原3−7 | B |
小鹿第一工場・第一物流センター | 静岡市小鹿1−63−20 | C |
第二物流センター | 小鹿915 | A |
厳密にはAの*で記された位置は、現在はスルガ銀行静岡東支店と「タミヤ発祥の地」の石碑がある側で、 第二物流センターは道路を挟んだ東側(Aの文字の位置)にあります。 |